京美同活動ノート

京大美少女ゲーム同好会のブログです。週1より早いペースでの更新が目標です

【17日目】非日本製エロゲのすすめ

0. 海外エロゲをやるぞ

 いきなりわけの分からない始まりになってしまった、どうも編集のKenliです。
皆さん普段海外の美少女ゲーム、特に海外のエロゲをプレイすることは少ないと思う。『ドキドキ文芸部!』や『飢えた子羊』(そこまで有名ではないが)などの海外作品の名前をどこかで聞いたことはあるかもしれないが、他にどういった作品があるのかについては良く分かってない、興味関心もない人が多いと思う。

 実はSteamをはじめ、Nutakuなどかつては日本エロゲ翻訳をメイン商品としていたが、今は日本以外の海外製ゲームが半数以上を占めている。エロゲという概念は日本から世界へ広がり、もはや日本とは全く異なる盛況である。

 ひとまず、ここで非日本製エロゲの定義を簡単にしておきたい。

  • このゲームは日本製でない。
  • このゲームがエロゲである。

 一見その通りの定義だが、実はそう単純ではない。

 例えば、『ネコぱら』に関しては日本製ゲームと定義することも可能だが、そもそもNEKO WORKsの代表は中国人である以上、『ネコぱら』を日本製と言い切れるのは実に難しいことである。それでも日本製だと思うのなら、このゲームを日本製とするには他の判断基準や理由付けが必要となる。少なくとも本記事では「絵・ストーリー・ゲームシステムを持つゲーム」のうち半数以上の要素が日本製(日本国内で制作・販売)でないものを日本製でないと定義する。

 追加で簡単に説明を加えると、「絵とストーリーが海外製」であれば非日本製エロゲと認定する。そして「絵とストーリー」しかなくシステム面が弱いゲームは絵かストーリーのどちらかが海外製であれば非日本製と考える。(この基準の妥当性についてここでは議論しない)

 そして、エロゲに関しては日本製よりは分かりやすいが、一応その範囲を「本体あるいはDLCにおいて性的表現を含むもの」とする。

1. 海外エロゲをどう探すか

 ここでいう海外製/非日本製エロゲは、SteamやDLsiteなどのデジタルプラットフォームにて販売・配布されているゲームが中心となる。作品によっては日本語訳がついているものもあれば、英語や中国語しか対応していない作品も存在する。

 DLsiteの方でも実はかなりの数の海外製エロゲは人気ランキング上位に入っている。例えば『NTRaholic』のBig S Studioや『NTR伝説』のGoldenBoyなどの寝取られゲームは海外製でありながら確実に日本でも人気が出ている。

 一方で、日本市場向けにアプローチしないゲームもかなりの数Steam上に存在する。多言語対応はしているが基本は荒いAI翻訳だけのゲームや、いかにも日本のエロゲにインスパイアされたのに英語や中国語しか対応していないゲームなどは数多く存在する。

 また、欧米ではある意味伝統的なポルノゲームや、近年はエロ要素を含むミニゲームなども多く、その値段もかなり手頃なものが多く、普段フルプライスのエロゲや日本の同人エロゲの相場を考えればかなり安い(円安でなければどれだけ良かったのか……)。

 ようやく本題に入れる。海外エロゲをどうやって遊ぶのかについては実に個人の能力や趣味関心に依存する問題である。

 日本語しか読めない人でもDLsiteを探せばそのうち出会えるだろう、しかし、それでは海外映画の字幕視聴と同様で、ゲームをプレイしたとはいえ、作品そのものに触れていたとは言い難いような体験をしていたといえる(この表現も正確ではないが、後節で説明するためここではあえて説明しない)。

 やはりSteamという存在からは海外エロゲをやる以上逃げられない。しかし、現に毎年1万9千本のゲームがこのプラットフォームから出ていて、それをどうやって探すのかというのも実に難題である。

 現在考えられる方法は主に2つ:ジャンルから絞るか、パブリッシャーから絞るかである。

 ジャンルで絞るのはかなり簡単だが:ビジュアルノベル・経営シミュレーションなど、エロゲのよくある分類の中の成人向け作品はかなり多くある、そこから同類型のゲームは自然と推薦アルゴリズムに浮上する。しかし、そこで海外製であるかは正直区別しにくい。開いてみたら日本の同人エロゲだったことが良く起きる。

 パブリッシャーは海外エロゲを識別する際にかなり分かりやすいヒントである。同じパブリッシャーやレーベルは基本エロゲしか作らない。パブリッシャー自身もSteamにおいては小さいプラットフォームとして機能していて、他のメーカーでもパブリッシャーが持つファンコミュニティで一定の売り上げが保障されている。

 一部のパブリッシャーはかなり特徴が分かりやすい、台湾発のエロゲを中心に扱っているMango Partyや、RPGツクール中心のライトRPGやシミュレーションゲームを提供する永恒アリス工坊、シンプルなミニゲームやカードゲーム要素を安い値段で提供するアメリカのパブリッシャーSecret Laboなどの例がある。一方で、やはりパブリッシャーを介さない中小メーカーはこの場合では見つからず、またパブリッシャーの中には日本製ゲームの海外ローカライズをしているものがあり、やはり海外製との区別が難しい。

 他には同類型の作品をプレイしているユーザーからたどるなどの方法もあるが、結局の所、地道に探していくしかないかもしれない。

2. 海外エロゲをどう遊ぶか

 欧米製のゲームを英語(あるいは元の言語)、中華製のゲームを中国語で楽しめるのはよりゲームの本質に近づけるものといえる(本は原典を読むと同じである)。その方がより本来の言語の表現を体験できて、創作者が書いたテキストからそのままその意図を読み取れる。

 しかし、だからと言って翻訳を読むのは悪いということも全くない。翻訳者がいる場合は翻訳者の考えが入るし、AI翻訳の場合はそのわけの分からない翻訳から原文を推測するなどの楽しみ方もできる。それは本来の楽しみ方ではないし、おそらく創作者が想定していたゲームの楽しみ方とも大きくかけ離れているが、それでも存在する以上遊び方の一つである。

 また、海外エロゲというのは大抵インディーズゲームである。美少女ゲーマーだと普段聞かない概念かもしれないが、日本における同人ゲームやフリーゲームを想像してほしい。個人あるいは小さい団体が制作するゲームで、ゲームの諸要素が整っておらず、必ずどこかで残念と感じる要素がある。そしてリリース初期はとにかくバグが多く、作品によってはゲームとして遊べたものではないというクソゲーじみた様相を呈することもある。

 そして、海外エロゲは基本的に値段相応のクオリティであり、500円以内のものは大体の場合ミニゲームと大してエロくないCGやLive2Dアニメーションのみであり、それが1000円前後になるとようやくゲームらしいものが出てくる。人によってはそれでも満足感を得られるが、一般的な作品しか通って来なかった日本のエロゲーマーにとっては受け入れられない可能性が高い。

 さらに近年ではSteamでの買い切りゲームでもアーリーアクセスからの正式リリースが主流であり、正式リリースした一年間はアプデでバグ修正や内容を追加などをし続け、数年後にようやく完全なゲームを遊べることも珍しくはない。そういったゲームと最初期に出会ってしまうと、もはや海外エロゲ=クソゲーという先入観が定着する恐れがある。

 海外エロゲをプレイするには、かつてのクソゲーハンターたちの心構えが時には必要であり、忍耐や精神を鍛え抜いてそれに挑む必要がある。

3. 海外エロゲから何を得られるか

 ここで一つの疑問が自然と上がってくる。

 「そもそも、なんでそこまでして言葉が良く分からないクソゲーをやる必要があるのか」

 つまり、海外エロゲから我々は何を得られるのかという問題に直面しなければならない。

 その答えに関しては人それぞれではあるが、それでもいくつかの基本的な要素が答えになると思う。

 最大のモチベーションとして「異文化理解」という目的がある。完全なるフィクションであるプロの集団が制作した海外アニメなどに比べて、実はインディーズに近い海外エロゲの方がより海外の創作者たちの考えが直に感じられるようになっている。創作者の考えは無論、日本へのオマージュにおける解釈や日本のサブカルの再解釈、そして海外のサブカルの流行などの現地ネタを多用する作品は多く存在する。そこから異文化に触れることができ、そしてすでにある程度知っている文化であればそれを異なる側面で再認識することも可能である。

 次にモチベとなりうるのは「インディーズゲームの開拓」である。これはインディーズゲーム全般に言えることだが、その中でもエロゲというジャンルはかなり荒削りで、今のインディーズの「良くまとまっている」類のゲームよりもその荒さならではの味が魅力である。作り手は欲望をさらけ出し(時には単に金を稼ぎたいというクソゲーの場合もあるが)、そしてプレイヤーもそれを直に感じることができる。

 他のモチベとなる要素は人それぞれであるが、そもそもエロゲ自体の供給がそんなに多くなく、性癖ジャンルやゲームジャンルによっては異常に供給が少ないパターンも珍しくない。海外エロゲという新天地によって、供給不足だったプレイヤーたちに新しい可能性を提示することは、今の時代には必要だと思える。

 そして何より、海外エロゲの値段は基本的に日本エロゲより少し安く(円安でなければもう少し手頃な値段で買えた)、安すぎるゲームを沢山買うとうっかりクソゲーの山が出来てしまう可能性もあるが、安い神ゲーに当たるときの満足感は大きいし、日本エロゲよりクソゲーに当たるときの心のダメージもその分低い(物は言いよう)。

4. 海外エロゲのおすすめ

 ここまで海外エロゲを遊ぶための方法や意義について語ってきたが、「じゃあ実際に良い作品なんてあるの?」という素朴な疑問も当然生じてくるであろう。

 あるよ、ちゃんとSteamに

 ここで筆者がこの3年間で遊んできた150本の海外エロゲの中のおすすめを紹介しよう。(主に中国語圏の作品)

1.『剣俠〜風塵恋曲〜』

https://store.steampowered.com/app/2179300/_/

 中華風武侠×ダンジョン探索バトルRPG、難易度がちょうど良い塩梅でストーリーを十分に楽しめる。アートスタイルは日本ではあまり味わえないタッチの絵である。日本語翻訳にほんのり違和感はあるが、そこで中国語が分かるともう少しストーリーを楽しめるかもしれない。DLsiteでも購入可能。

2.『怠け怪獣姫は働きたくない』

https://store.steampowered.com/app/1732180/_/

 シリーズ三部作の1作目、怪獣姫と○○して世界の平和を守る育成シミュレーション。ゲームシステムとストーリーのバランスが良く、日本語ボイスと中国語ボイスから両言語のヒロインの違う解釈を味わえる。海外エロゲ初体験にちょうど良い作品である。DLsiteでも購入可能。

3.『異世界アダルトショップ』

https://store.steampowered.com/app/2962480/_/

 個人的に去年度のベスト作品。シンプルで苦にならない経営シミュレーション。ガッツリとした経営システムやハードルを期待する人たちには物足りないと感じるかもだが、エロシーンのアニメーションや各キャラのストーリーは短いながらちゃんと要点を押さえてある。新設サークルの初作品とは思えない出来である。

4.『ハッピーアイランドファンタジー』

https://store.steampowered.com/app/3668560/_/

 日本語翻訳の癖がかなり強く、絵もAI生成で人によっては受け付けないかもしれない。しかし、そこにはそれらを上回るエロへの追求と近年あまり見ない王道のストーリー展開、近年の作品の中でも屈指の本編の長さでありながらそこまで苦にならない人生シミュレーションである。これでまだ追加DLCが年内に来るって?冗談じゃない、いくら出せばいい?(どうでも良い話だが、作中に「幸せ研究所」となる施設の建物に「HAPPY SCIENCE」と堂々と書いてあって見かける度に吹き出しそうになる)

 以上のおすすめは単純に筆者がプレイしてきた作品の中で良かった作品であり、必ずしもゲームのクオリティーやプレイ体験を保障できるものではないことをここで改めて記しておく。

5. 最後に

 エロゲーマーたち、そろそろ世界に目を向けないといけない時代が到来した。一般向けの『アズールレーン』や『原神』、『エンドフィールド』などだけではなく、海外エロゲにおいてもかつてないほどの創作ブームが起き、そのクオリティーの成長も著しく、作品数と人気は年々増している。

 こちらが海外作品に知らないうちに包囲される前に、自分からこれらの作品に接触して、その中から好きな作品、嫌いな作品を体験しよう。その行為は広い世界を知るためだけではなく、エロゲーマーとして自分を知るためでもある。

 そうすることで、初めて一人前の現代エロゲーマーに成れるだろう。

 海外エロゲ沼へようこそ。

 

【16 日目】美少女ゲームというテクストの意義―アニマの知覚―

※ 本記事は新歓ブログリレー 2026: 16 日目の記事です。他の記事にあっては、以下よりご覧ください。

kuvnlovers.hatenablog.com

はじめに

皆様、ごきげんよう。本日分の記事の文責を務めます、紅坂です。
新歓ブログリレーでお会いするのは 3 度目ですね。そして何と、今回が最後です。
1, 2 本目の記事については、以下からご覧ください。

kuvnlovers.hatenablog.com

kuvnlovers.hatenablog.com

新歓ブログリレーも、残す所本日と明日の 2 日となりました。
ここまでの記事は、いかがでしたでしょうか。
怪文書から初心者向けのモノ、真面目な論考まで、多種多様な記事がありましたね。

しかし、どの記事にも一貫しているものがあります。それは、美少女ゲームを共にプレイする仲間に対する、執筆陣からの執念です。
アプローチや考えは違えど、一人でも多く同じ趣味の仲間が欲しい。その想いは、皆一緒です。

そこで、本日の最終回では、美少女ゲームというテクストの意義について論じます。

似たような論題を、2 日目の記事で魅桜さんが扱っています。

kuvnlovers.hatenablog.com

ですが、私の記事は魅桜さんとまったく異なるアプローチと主張で、あなたに美少女ゲームをプレイしてほしい理由と、美少女ゲームというテクストの意義について論じていきます。
それでは、ご覧ください。

  • はじめに
  • 美少女ゲームというテクストの意義―アニマの知覚―
    • アニマとは何か?
    • 美少女ゲームとアニマ
      • 1. 弁証法としての美少女ゲーム
      • 2. 情報生命体がより primitive な元型であること
      • 3. 内省を促されること
      • 4. <自己実現> の過程となること
    • 結論
  • 補遺 : 筆者のオススメ美少女ゲーム
  • むすびに
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【15日目】美少女ゲーム界隈の「暗黙の了解」

新入生の皆さん、初めまして。京美同前会長のYoujyoと申します。この春合格された方はおめでとうございます!

本記事では、これから美少女ゲーム(エロゲ・ギャルゲ)を始めてコミュニティに入っていく人向けに、SNS炎上などのトラブルに巻き込まれず快適に活動する秘訣をお教えします。

 

(注)これから挙げるものの大半は、別にルールでも何でもありません。強制的に暗黙の了解に従わせる意図はありませんし、自由に活動すればいいと思います。ブロック・BAN・炎上などのリスクを回避したい穏健派向けの指南書だと捉えてください。

本記事は個人の見解であり、京美同の運営方針とは一切関係ありません。

 

ではさっそく紹介していきます!

 

 

1. 未成年エロゲーマーは年齢への言及を避ける

年齢がバレると結構叩かれます。正義感で。

・そもそも未成年はやるな派

・やってもいいけどこっそりやれ派

・気にしない派

が混在していてなかなかカオスな領域です。ちなみに筆者は「レーティングには従うべきだけど、本来は18禁の括りなど不要派」です。

 

2. ネタバレを回避する

特に重要な場面のスクショを貼ったりすると嫌がられます。不安なら全部センシティブ設定をすれば安牌。

ネタバレ感想は、ブログとかふせったーとか批評空間で警告付きで書けば大丈夫です。京美同のDiscordサーバーにはネタバレOKのチャンネルがあったりします。

 

3. 割れに手を出さない

何のことか分からない人は正常です。要は違法コピーでゲームをプレイすること。これだけは日本国の法律で規制されています。割れは普通のコミュニティならBAN対象の行為だと思いますし、割れ上等でやってるコミュニティとは関わらないでください。

 

4. パッケージの貸し借りを大々的にやらない

知人間の貸し借りはギリ合法だったと思いますが(違ったら指摘お願いします)、知人間を越えて大規模にやりとりしたり有償で貸し借りしたりすると、法に触れる恐れがあります。

 

5. 人気ブランド・人気作品の批判を避ける

これは悪しき風潮だと思ってんすがね……

・ゆずソフト

・ケロQ&枕

・Key

この辺りのブランドは、SNSで批判するとたまに熱狂的ファンが放火しに来ることがあります。言論の自由ェ……。メンタルが強めの人は、恐れずにダメなものはダメと主張していきましょう。

あ、普通の批判と誹謗中傷は違いますよ。

 

6. 声優の裏名義に公の場で言及しない

エロゲ声優は全年齢向けの表名義と18禁向けの裏名義を使い分けていることが多いです。同一人物であることが周知の事実になっている声優も多いですが、あまり言わない方が無難です。

 

7. 初心者向け作品の議論に加わらない

謎に炎上することがある危険なトピックです(1敗)。人によって初心者向けの定義も違うし、勧めたいジャンルも違うし、初心者にどうなってほしいという思想も違うので、永遠に噛み合うことはありません……

 

8. エロ不要論の議論に加わらない

危険なトピック2。エロゲのHシーン、普通に見るエロゲーマーもいるしCtrlスキップするエロゲーマーもいます。スキップするのにエロはほしいとかいう変な人もいます。ちなみに筆者は「使う」のが礼儀だと考えています。

 

 

 

 

9. 同人ゲームを制作するな!!!!

理由は筆者に直接聞いてください。ゲーム制作に向いている人は、作るなって言っても勝手に作ってます。

 

以上、ありがとうございました。良き美少女ゲームライフを!

 

【14日目】コンテンツ大量消費社会における美少女ゲームの立ち位置と展望について

導入

どうも、Everetteです。
今日もちょっとだけ真面目な話をします。
端的に言うと、エロゲーマーたる我々は今のコンテンツ界隈でどのような存在なのか、どうなっていくのか……という話です。

ではさっそく。

 

目的

ショート動画、ファスト映画、◯分後に*****、などなど、現代には数多のインスタントエンタメが溢れている。
一方、我々が愛する美少女ゲームは、こうしたインスタントエンタメとは対極に位置するもので、コンテンツ飽和状態の現代において商業的に生き残る、つまり大衆を制するには圧倒的に不利である。

この記事は、そんな現代社会で美少女ゲームが取るべき路線とその展望について一つの見方を示すための一考察である。

 

コンテンツ大量消費社会とは

まず、大量消費社会の原義は、「あらゆる資源が大規模に消費され、別の形に変わり、さらにそれが消費されるサイクルが非常に速い社会」のことである。

例えば、

「昔は食料が十分にない前提で人類は進化してきたため、ヒトはグリコーゲン内分泌系だけが発達した。
血糖値を下げるインスリン内分泌系はそれに比べて相対的に発達していないので、食料が十分にあるのが日常になった現代において、糖尿が増えた」

というのも一種の大量消費社会の傍証である。
しかし、ここでは資源全体の話をしたいわけではないので、消費されるものを「コンテンツ」に限定して話を進める。

まず、コンテンツが消費されるとはどういうことだろうか。
「消費」とは、辞書的には第二義(出典:大辞泉)として「人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと」とされる。
この意に沿えば、コンテンツは「サービス」に該当し、消費されているコンテンツというのは「個人としての欲望が集団化し、それが大衆化した結果、コンテンツ全体が一過性のものとして使われているもの」と言える。

コンテンツ大量消費社会とは、「このような現象が大規模に、定期的に複数のコンテンツで発生している社会」のことである。
以下、「大量消費社会」と言えば、「コンテンツ大量消費社会」のことを指す。

 

美少女ゲームの優位性

さて、一過性のものとして使われるようになったコンテンツはどうなっていくだろうか。
ご存知の通り、時間効率が最も高い形態に収束する。

TikTok、ショート動画は単体で独立しているコンテンツが大量に連なっているものだからまだいいとして、現代の大衆というのは時間効率を求めた結果、「流行りのあの漫画の話……流れとしてついていかなきゃいけないけど、読んでる暇はない……そうだ! YouTubeでネタバレ解説してる動画を見て中身だけインプットしておこう!」となる。

これは非常に由々しいことで、まず第一に、自ら鑑賞しないことは、創作者に対して非常に不誠実である。
しかしこれは単に非文化的な行為というだけの批判なので、論としては弱い。
そもそも、大衆は創作者に対する敬意を求めていないという話もある。
なぜなら、もはや大衆にとって創作物とは作品ではなく、皆と話を合わせるための道具でしかないからである。

創作者に対して不誠実であるという以上に、「作品を道具として扱い大量消費し始めると、作品そのものに対する文化的価値が損なわれ、大衆のオナニー*1の道具に成り下がってしまい、やがて人類社会における文化の意義が極端に損なわれる」ことが問題なのだ。

 

ここで、美少女ゲーム(ビジュアルノベル)という媒体の特性を見てみよう。

まず、手間がかかる。
漫画やアニメは開いたり再生すればすぐに作品に至れるが、美少女ゲームはまずインストールし、exeファイルを開き、スタート(orニューゲーム)ボタンを押す、という、PCリテラシーの低い現代の大多数の若者には厳しい壁が待ち受けている(そもそも多くの人間は、実行ファイルの拡張子がexeであり、フォルダの中から実行ファイルを見つけるという手順すら知らないかもしれない)。
逆に言えば、これらのことがわかり、できる人だけが美少女ゲームにありつける。

さらに、アニメの場合1話25分、1クール分全部見ても5時間で済むが、フルプライスの美少女ゲームで5時間で読み終わる作品は少数だろう。
つまり、基本的に尺が長い。

現代の大衆がコンテンツに時間効率を求めている理由は明らかである。
単に「暇がない」。
だから、大多数の人間には美少女ゲームを悠々自適に嗜む時間的余裕がない。
美少女ゲームは「時間」を要するという点で、現代社会とは反りが合わない。

 

しかし、これは裏を返せば、時間があり、コンテンツをしっかり受容して解釈したい層にはうってつけということだ。

そういう意味で、美少女ゲームは意図せずして客層の選別に成功している。
そのせいで商業的に苦しかったりもしているが、どちらかといえばそれは法による規制や、業界の体質による側面の方が強い。
そのため、ポテンシャルとして美少女ゲームに適性がある人材は、案外多いかもしれない。

美少女ゲームの優位性とは、消費され尽くすことが前提の「大量消費社会」で、一過性で終わらず、長く語り継がれ、再解釈される余地がある巨大な一つのコンテンツを提示できることにある。
そしてこれこそが、我々が美少女ゲーマーたることを誇るべき理由でもある。

 

「大量消費社会」における美少女ゲーマーとはどのような存在か

では、このように時間的余裕がない「大量消費社会」において、美少女ゲーマーとはどのような存在なのだろうか。

まず異色であることは間違いないだろう。
そもそも大衆に膾炙しているコンテンツではないものを、わざわざ手間暇をかけて長い時間を費やし読みこなす。
オタクが市民権を得たなどと叫ばれている現代において、明らかに元来のオタク的な姿勢を取り戻しているような姿である。

本来、オタクという語に大衆的なコンテンツを大量消費するような存在というニュアンスは含まれないので、こちらがより正しい意味でのオタク的アイデンティティを保っていると言えるだろう。
つまり、端的に言うと美少女ゲーマーとは、「オタクコンテンツが大衆化したと言いつつ、実際には非オタク的な文脈で消費され尽くしている現代において、未だに正しい意味でのオタク的性質を保ったままでいる存在」と言える。

そういう意味で、大衆に美少女ゲームを膾炙することは難しいというか、本質的に不可能なことである。
美少女ゲームは、大衆が話を合わせるためのオナニーに使われているメインストリーム的なコンテンツとは違い、原義的なオナニーに使われることはあれど、手間と時間をかけて受容され、話を合わせるためではなく自己実現のいち要因となり得るからである(詳しくは「C107ビジュアルノベル大学サークル合同本」京大美少女ゲーム同好会の対談セクション第5章参照)。

 

美少女ゲーマーのエリート性

ところで、美少女ゲーマーというのは、所謂オタクの中でも、選りすぐりのエリートたちである。
これはオタクとしてエリートであるというのもそうだし、原義的なエリートである割合も、他に比べて相対的に高い。

昨今増加している大学美少女ゲームサークルの内訳を見てみると、サークルが設立された大学の大半は世間一般で所謂高学歴の部類に含まれる大学である(一般的には、大学に所属していること自体が、一定程度のエリート性をすでに担保しているのだが)。

そもそも、美少女ゲームのシナリオは、他媒体に比べて、多くの人が難しいと感じるだろう物語が多い。

まず、美少女ゲームの大半は、「ビジュアルノベル」という形式を通じてできているメディアである。
ビジュアルノベルとは、絵と音楽のついた小説形式のコンピュータソフトウェアのことを指すので、基本的には文章がメインである。
やっていることは、読書とほとんど変わらないのだ。
それに加えて、映像作品などとは違い、自然言語の読解力をそのまま要求されるため、始めたとしても、読解力のふるいにかけられることになる。
よって、何本か読みこなせた時点で、その人は既に要求値以上の読解力を持っていることになるだろう。

多くの人が知っている通り、義務教育があれど、読解力や数理処理能力は、必ずしも万人が習得できるものではない。
義務教育において基礎的な国語力を身につけた人であれば、このような作品を読むことはできるのである。
これは作る側、特に書く側にも同じことが言えるかもしれない。

 

純然たる読書以外で、これほどまでに知性が要求されているオタクコンテンツは他にあるだろうか。

アニメや映画は、映像でシナリオを伝えるため、自然言語の読解力がそのまま要求されているわけではない。

漫画は台詞と絵のみであるし、ボカロやVTuberは音楽であったりダンスであったりが主であるため、シナリオの要素はあまりない。

ライトノベルは一番近いかもしれないが、シナリオの密度という点で美少女ゲームには劣る。
俗にシナリオゲーと呼ばれるジャンルの美少女ゲームは、当然定性的に美少女ゲームに含まれるが、シナリオゲーに勝るシナリオの作品はほとんど存在しないだろう。
俗にキャラゲーと呼ばれるジャンルだったとしても、ライトノベルと比べたときには当然勝る。
この場合、比較されるのは所謂ラブコメの描写なので、R18であることにより、えっちなシーンをそのまま描ける美少女ゲームの描写力に勝るものはないからである。

つまり、内包する情報と処理すべき情報が共に最も多いのが、美少女ゲーム(ビジュアルノベル)という媒体なのだ。
思考せずに読み流すだけの鑑賞には、意味がない。

美少女ゲーム(ビジュアルノベル)の読者は、常にその膨大な情報を処理し、振り返りながら読むことを求められる*2

 

美少女ゲームの展望

では、このような状況で美少女ゲームが取るべき道と、その展望はどのようなものなんだろうか。
大きく二通りのアプローチを取ることができるだろう。それは、

  • 美少女ゲームそのものを大衆に迎合させ、よりメジャーな文化に仕立て上げる
  • 美少女ゲームを大衆に迎合させず、今のように限られた層のみが消費と解釈を繰り返す

である。

さて、昨今の美少女ゲーム業界は、すでに「Ivory Tower」(象牙の塔)*3のような状態である。
ほとんどの美少女ゲーマーに馴染み深いであろう『エロゲー批評空間』というサイトの存在及び特性が、美少女ゲーマーの特質を最もよく表している傍証かもしれない。
そもそも、このサイト名の元ネタである『批評空間』という文芸誌が、文芸批評のための雑誌なので、お察しというものだろう。

このように、古より美少女ゲームというのは、主体的に批評・解釈する人間が存在し、そのビッグデータが作れるほどの母集団が存在しているという確固たる事実がある。
ゆえに、業界全体が大きな「Ivory Tower」と化しているといえる。

 

では、大衆に迎合することが生き残る道なのだろうか?
私にはとてもそうは思えない。

そもそも、媒体自体が大衆に迎合しないことを前提として文化を築き上げているため、美少女ゲーム由来の文化は、基本的にクローズドなものである(漫画・アニメ・ライトノベルなどに伝播したものはあるが)。

一度大衆に迎合したが最後、現在アニメや漫画で起きている大量消費と同じ現象が美少女ゲームにも起き、コンテンツという資源をしゃぶり尽くされ、美少女ゲームとして存在する意味が消え失せるだけだろう。
よって、美少女ゲームという文化は、大衆に迎合した瞬間、「死んでしまう!」

 

大衆に迎合せず生き残るには、現在の限られた層から商業的に行動してもらい、かつポテンシャルのある新世代のオタクを、美少女ゲーマー(原義的なオタク)として定着させる必要がある。
しかし、新世代というのは基本的に若いので、自由に使えるお金が多くないだろう。
というわけで、商業的行動における客単価アップは見込めそうにない。

しかし、これは参入したての時期の話である。
自由に使えるお金が多くなるまで彼らが美少女ゲーマーを続けていれば、客単価は彼らの成長に伴ってアップしていくだろう。
つまり、美少女ゲーマー一人あたりのの客単価を引き上げるには、客単価が低いもしくはゼロの時代を経させる他ないのである。

よって、新規の美少女ゲーマーは参入するだけでなく、美少女ゲームを続けることが非常に重要となる。
我々は決して美少女ゲームが大衆に迎合することを許さず、かつ文化の死滅を避けるためにポテンシャルのある新世代のオタクを取り込み維持し、消費されるコンテンツに成り下がることを徹底的に拒みながら、客単価の線形的な上昇を追い求める必要があるのだ。

 

筆者のおすすめ美少女ゲーム

というわけで、私の主観でおすすめの美少女ゲームを挙げてみる。

 

1.素晴らしき日々

まず、素晴らしき日々は欠かせないだろう。
この作品ほど解釈に向いている美少女ゲームもあまりない。
すば日々を通って初めて一人前の美少女ゲーム解釈者になれるとも言える。

 

2.WHITE ALBUM 2

これも欠かせない。
解釈の練習というよりは、<対話>の練習をするのにうってつけなフィールドが既に用意されている。

 

3.さくら、もゆ。-as the Night's, Reincarnation-

この作品は解釈が割れることはあまりないが、美少女ゲーム特有の尺が極めて長く複雑な物語構造を受容するという意味で欠かせない。
また、作中設定の背景知識が深いので、美少女ゲームを契機に衒学に入門するのにも向いているかもしれない(この作品についての論考はC108の会誌で深く論じる予定なので、お楽しみに!)。

 

ただ、他人から勧められた作品を安穏と受容しているだけでは、美少女ゲーマーとは言えない。
自発的に情報を集め、作品を選び、クリエイターを追い、ショップに行って購入する必要がある。

 

むすびに

美少女ゲームは、原義的なオタクの特性を残しているほとんど唯一の文化圏で、この文化圏を後世に残していくことは、非常に意義のあることです。
新入生の皆さんも、ぜひ美少女ゲームを読んで解釈し、再発信し創作できる、気骨のある正しいオタクになりましょう。

来年私が合格した暁には左京区吉田本町で皆さんに会えることを楽しみにしています。

それでは、ここまでのご精読ありがとうございました。

*1:もちろん、ここでいうオナニーは原義的なオナニーではない、後に原義的なオナニーは登場する

*2:これは、ジャンルを問わず、所謂イチャラブを楽しむだけの作品だったり、原義的なオナニーのお供になるような作品でも同じである。

*3:自ら望んで俗世間から離れ、主に精神的で難解な探求を行う場所の隠喩、または、その雰囲気を指す言葉。

【13 日目】美少女ゲーム解釈学入門

※ 本記事は新歓ブログリレー 2026: 13 日目の記事です。他の記事にあっては、以下よりご覧ください。

kuvnlovers.hatenablog.com

はじめに

皆様、こんにちは。本日の記事の文責を務めます、紅坂です。
詳細な自己紹介などは、前回の記事をご覧ください。

kuvnlovers.hatenablog.com

前回の記事では、美少女ゲームを以下のように定義しました。

  • 美少女 : あるプレイヤーが「美少女性」を感じるコンテクストと、それによって規定される情報生命体。
  • ヒロイン : ある物語において、主人公との間で恋愛関係が成立した最終的な世界線が存在する情報生命体。
  • 美少女ゲーム : 美少女がヒロインとして登場し、世界線によって主人公との関係性を規定されるコンピュータゲームの集合。

今回は、これらの定義を用いて、美少女ゲームを「解釈」することについて論じていきたいと思います。
では、本日の記事もよろしくお願いします!

  • はじめに
  • 美少女ゲーム解釈学入門
    • 「消費」と「解釈」
    • 記号とコンテクスト
    • コンテクストと作品鑑賞
    • 消費と解釈のどちらが好ましいのか
    • 解釈の方法
      • 還元
      • 投影
      • 対話
      • 衒学
    • 結論
  • むすびに
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【12日目】「学園教師もの」エロゲ、やりませんか。

この記事は新歓ブログリレー12日目のものとして書かれました。他の新歓ブログの記事はこちらからご覧ください。

  • はじめに
  • 敢えて言おう、「エロゲやれ」と。
    • 1作目:『夜巡る、ボクらの迷子教室』(SAMOYED SMILE, 2017)
    • 2作目:『天色*アイルノーツ』(ゆずソフト, 2013)
    • 3作目:『遥かに仰ぎ、麗しの』(PULLTOP, 2006)
  • 最後に

はじめに

 最初に祝辞と自己紹介を。京大美少女ゲーム同好会(京美同)の新歓ブログの当記事を読まれている新入生の皆様、ご入学誠におめでとうございます。また、そうでない方も、心新たに頑張っていきましょう。執筆者の魅桜と申します。京美同との関係について、設立当時によく美少女ゲームを語り合った先輩方に誘われる形で加入し、今も所属しております。また普段は美少女ゲームと教育の関係性について考えています。

 忘れないうちに呼びかけておくと、教員免許の取得を目指す新入生は、大学の教職課程のオリエンテーションには参加しましたか?まだ確認していないなら、今すぐ調べてください。中教審が出した教員免許制度の見直し案がどうなるか分かりませんが、どの科目を取る必要があるのか洗い出し、卒業までの履修計画を立てて、単位を落とさないようにすることが大事です。私は何とか教員免許をいくつか取得しましたが、結構大変でした。

 

 さて本記事の意義を簡単に説明しますと、「学園教師もの」というジャンル(すぐ後に説明します)を布教して、いろんな人にプレイしてもらおう!ということです。特に①美少女ゲーマーに対して教育への関心を持ってもらうこと、もっと言えば教員を目指す人を一人でも増やしたい、②教員(あるいは志望者、教育関係者)に対して身近な設定である「学園教師もの」をプレイしてもらい美少女ゲームについて「よく分からない」から「なんとなく分かる」へ変えることを目的としています。実は筆者も教育関係者なので身バレしたら上からお叱りを受けるんじゃないかととても冷や冷やしています。なんともリスキーで挑戦的な内容だ、でもやるしかねぇ!!

 ここでいう「学園教師もの」美少女ゲームとは、学園を主な舞台として(男性)教師が主人公で(女子)学生(設定上は学生としているが、暗に生徒を表すこともしばしばある)がヒロインとなるビジュアルノベルを指すことにします。全年齢向けのソーシャルゲームでも「学園教師もの」は存在して、例えば『ブルーアーカイブ -Blue Archive-』(略称:ブルアカ)があります。このゲームは3Dタクティカルバトルを行うものですが、プレイヤーは学園都市キヴォトスの「先生」となって生徒たちと共に問題を解決していくストーリーを読む部分は、「学園教師もの」と呼んでも問題ないでしょう。他にも『ウマ娘 プリティーダービー』もトレーナーとウマ娘の関係性がプレイヤーが「トレーナー」となって「ウマ娘」にコーチングするという構造を取っていますから「学園教師もの」と捉えることができます。意外とこのジャンルは世に溢れている。

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【11日目】レビュー『終のステラ』

はじめまして。
京大美少女ゲーム同好会にて会長を務めております、イチノセと申します。

 

この記事は2026年度新歓ブログリレー11日目のものとして書かれました。
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kuvnlovers.hatenablog.com

 

1.はじめに

PCゲーム『終のステラ』より
© VISUAL ARTS / Key

 

 美少女ゲームの初心者におすすめの作品を聞かれると、決まって『終のステラ』と回答する。Key/ビジュアルアーツより2022年9月30日に発売され、同年、「萌えゲーアワード2022」のシナリオ賞にも輝いた同作は、ビジュアルノベルの歴史を塗り替えた記念碑的傑作ということができる。本作の中核を為す二項対立──つまり「人類」か「AI」か、「個人」か「家族」かという命題は、ライター・田中ロミオの流麗な筆致と、硬質ながらも淡く鮮やかなグラフィック、もの悲しく反響するサウンド、登場人物の核心に触れる名演によって、とりもなおさず「愛」という旅を巡る試論へと昇華されているのだ。同時に本作は、美少女ゲームやその周辺において無数に紡がれてきた<セカイ系>物語群の一大転換点でもある。この作品によって、「恋人」か「世界」かという伝統的な二者択一は、「娘」か「世界」かという成熟へと向かうことになった。

 この記事では、致命的なネタバレは極力排して本作の魅力に迫っていく。

2.痕跡と旅

 

 本作は「一人」と、「一人」になりたい「一体」による、愛を巡る”親子”の旅である。「旅」は、古今東西、様々な形態を以てして描写されてきた文学的トポスの一つであり、代表的にはホメロスの『オデュッセイア』、ダンテの『神曲』など枚挙に暇がない。同じく「旅」を扱った作品として、僕は遠藤周作の『深い河(ディープ・リバー)』を指摘することができる。神学者・金承哲は、『遠藤周作『深い河』──痕跡を追いかける人々の物語』という示唆に富んだ書評のなかで、遠藤が推理小説、つまり「犯人が現場に残した痕跡を追跡する物語」に多大な文学的影響を受けていた事実を確認したうえで、次の二節を引用している。

 

「推理小説は、最後の頁を開けるまでは大体犯人がわからないように書いてある。つまり、この犯人というのが人生の意義です。」

(遠藤周作『自分をどう愛するか<生活編>──幸せの求め方』より。

金承哲『遠藤周作『深い河』──痕跡を追いかける人々の物語』から孫引き)

 

 

「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す」

(遠藤周作『わたしが・棄てた・女』より。

金承哲『遠藤周作『深い河』──痕跡を追いかける人々の物語』から孫引き)

 

 

 ──人生をたった一度横切り、おそらくは「旅」の終点まで正体不明なままでありつづける、拭い難いシミ。痕跡。そこに人生の、つまり「旅」の意義があるのだと、遠藤は言う。

 

 『終のステラ』の「一人」と「一体」は、おそらく同一の痕跡を求めて「旅」を共にしてきた。

 『終のステラ』の「一人」、ジュード・グレイ。物語の舞台は、人類の高度な知的文明が極点に達したのちに甚だしい衰亡を迎えた、いわゆるポスト・アポカリプスである。シンギュラリティを起こした機械群に支配された人々は、狭い閉鎖的な集落を形成し、前時代的な生活を送っていた。当然、共同体同士の関係性は乏しくなる。これは物資調達および情報共有の困難を意味しており、そこでムラとムラを繋ぐ仕事としての「運び屋」が生まれた。ジュードは、かつてとある理由でムラを離れて以来、「運び屋」として生計を立てるようになる。そんな生活のなかで、彼のもとにある依頼が飛び込む。

 『終のステラ』の「一体」、フィリア。ジュードに課せられたのは、生成槽で突如生まれた少女型アンドロイド・フィリアを、依頼主・ウィレムの指示に従い、目的地まで運びきることであった。彼女は「人間になれる場所」を求めてジュードと旅をする。「フィリア」とは、まだ匿名的な機械であった彼女に名づけを求められ、ジュードが与えた名前だ。意味は、<愛>。しかし、<過剰な愛着>というマイナスなニュアンスをもつ。けれども確かに<愛>なのだ。

 ジュードは、独りを好み、人間の醜さを知っており、どこか冷笑的で冷徹である。フィリアは、親を求め、人間の素晴らしさを夢想しており、純粋で活発である。性格的には、ジュードが「一体」で、フィリアが「一人」なのではないかとも思う。そんな「一人」と「一体」は、互いに「個人と家族」という命題の両端に立っており、かつ同じ命題を抱えて旅をしていく。

 物語の本筋に触れぬよう説明すると、ジュードは運び屋という馴れ合いの対極にあるような職業と、自らの家族とを天秤にかけ、個人としての自由のために後者を切り捨てている。ジュードは自らの生き方を、まさにその有様から肯定していくために家族というものを徹底的に拒んでいく。一方でフィリアは、徹底して家族を求めていく。おそらくは何の為に、そして、いかにして生まれたもわからぬ自らの存在に対して、根拠づけをしていくために、父の名を求めるのだ。

 彼らの生き方は全く対照的でありながら、家族という<愛>を軸に展開していく。実のところ、この両極端な在り方は、物語の進行していくうちに曖昧に溶け合い中和され、より中立的なものへと変容を遂げていく。ジュードは家族の大切さを知り、フィリアはそれでも一人で生きていくという前提の重要性に気づいていく。旅を通じて、二人のなかに内在している他者性=失われていた可能性へと接近していくのだといえる。旅は、二人に対話的な成熟をもたらす。そしてしばしば「個人」と「家族」という二者択一のまえで狼狽している僕らは直ちに、このダイナミクスに絡めとられ、『終のステラ』というゲーム体験を通じて、やはり同期的に内省を深めていくはずなのである。

 

3.<セカイ系>の成熟

 2026年度新歓ブログリレー3日目「レビュー『沙耶の唄』」で、『セカイ系とは、そうした社会=象徴界を欠いた、恋愛関係=想像界と非日常の危機=現実界が直結する物語』であると僕は引用している*1

 

kuvnlovers.hatenablog.com

 近年の典型的な<セカイ系>として新海誠の『天気の子』が挙げられると思う。『天気の子』の主人公・森嶋 帆高は漠然と、「おれのいるべき場所はここではない、海を越えた先になにかがあるのだ」という“向こう側”への憧憬から地縁的なものを切り捨て家出をする。家出した先で彼はヒロイン・天野 陽菜と出会って彼女と恋愛関係を結ぶのである。物語の最終盤で、彼は陽菜の救済と世界の救済が両立しないことを悟り、象徴的なものを切り捨て、想像的なもの=恋愛関係を選び取ることになる。そこではいうまでもなく陽菜は、あたかも“向こう側”からやってきた巫女のように彼方の世界=非日常の危機と結び付けられているのである。

 一般的なセカイ系ではこういう風に、徹底的に社会というものが否定されてきた。『終のステラ』でも、その構造は大方継承されているようにみえる。社会を拒んできたジュードはウィレムからの命令に「彼方」的なものを見出し、彼方からのいわば‟巫女“であるフィリアを運ぼうと決意するのである。

 さて、一般的にはここでジュードとフィリアとの間には恋愛関係が結ばれることになりそうなものだが、『終のステラ』では、むしろ父子関係という想像的関係が結ばれている。恋愛関係と父子関係の違いはなにかといえば、父子関係は幼児の象徴界=社会への参入を促す契機ともなるということである。また、それが父の役割であるとするならば、父もまた社会的なものを受容していくことが前提として求められる。

 したがって、『終のステラ』では娘か世界かという一見伝統的な二者択一が成立しているわけだが、しかし仮に前者の想像的関係を選び取ったとしても社会へとつながる糸口は確かに存在しているのである。ここに<セカイ系>の成熟を見ることができるように思う。すなわち、閉じた二項対立の内部に、第三項としての社会が回帰してくるのである。だからこそ『終のステラ』では最後に人類vs AIという単なる対照を超えた「人類愛」が描かれるのであった。

 

4.終わりに

 まとめよう、『終のステラ』とは「家族」という痕跡を巡る対話的な成熟の旅である。そこでは<愛>に関する様々な事態が変奏として流れている。家族を否定してきた者は手放してしまった娘の可能性に目覚め、個人を恐れていた者はそれでも自立して生きていく強さに目覚める。

 ジュードに課せられた仕事は人類の希望の為に<フィリア>を運びきることであった。思うに、田中ロミオのテクストはいつも画面の向こう側にいるわれわれに直接訴えかける射程の広さを持っている。僕らは対話的な彼らの旅の中で、僕ら自身の痕跡に気づき、彼らと同じように思考し悩んでいくに違いない。『終のステラ』はそういう仕方で僕らに<愛>を運び、「作品」と「僕」という想像的な関係から、より開かれた世界へと扉を開いてくれるのだろう。

*1:渡邉大輔「セカイ系入門」(星海社新書)による